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▼重症心身障がい者通所事業B型「シサム」誕生へ〜
―「卒業したらどうするの?」ということで始まった「シサム」―
2002年4月から各養護学校に看護師さんが配置され、医療的ケアの必要な人の世界が広がるという話もありました。でも学校へ通えても卒業した後に問題が残っているのです。卒業した後の進路で、医療的ケアが一番ネックになっているのが現状です。というものが一番ネックになっています。
■□ 「シサム」誕生秘話 □■
本当に安心して暮らせる場所、通所出来るところを考えた時、看護師が常駐しケアできる場所の必要性を感じました。そこで、重症心身障がい者通所事業の要請を京都市にしました。
お母さん方が「この子ら、ずっと家に居れと言うんですか」という熱意ある言葉に押され、京都市の方は必要だと考えてくださったようで、「じゃ、やりましょう」と、「重症心身障がい者通所事業」が始まったのです。
これがデイサービスセンター&『遊隣』から誕生した「シサム」の始まりです。「シサム」はアイヌの言葉で「隣の人」と訳し、温かく迎える人への愛情のこもった呼び名です。「あなたの隣人を愛せよ」という聖書の言葉を実践する者として、利用される方一人一人を隣人として愛し、温かくお迎えしたいという思いから名付けました。
☆★気づき3★☆
結局、様々な特性の人たちが集まって来られ、一人一人のニーズにどういう形で応じて行けるか、といったことを考えて行った時、十人十色の形が当たり前にできて行き、事業が増えて行ったということなのです。
初めに形があり、制度があり、という形ではなく、自分たちが動いて行く中で、出会いと気づきを繰り返す中で、その人たちのニーズが見え、始まって行ったという流れです。
そんな流れでやって来ていますから、「デイサービス」も、『遊隣』も、「シサム」も、休みの時など、デイサービスのホールで皆一緒に食事をしていました。土曜日などは入りきらなくて、二つに分けて3階も使うという形でやるような状況になり、安全面のことを考慮し、1階の通園施設に相談の上、通園施設のホールを借るなど工夫をしながらやっています。
しかし、ここに集中して来ているということは、どういう意味かと考えてみれば、それだけ他に行き場が無いということなのです。
▼障がい者生活支援センター「あいりん」
2002年4月の「シサム」の開所式の後、当時の京都市障害福祉課E課長から、「今年度の予算に『障がい者生活支援事業』をのっけといた。愛隣さんで是非やってほしいと思っている。詳しい話はまた担当からする。」と突然言われました。
寝耳に水のような話でしたが、予算をつけてくれると言うことなら、「人を増やしていくことができる!」と単純に思い、2002年10月より委託を受けることにしました。最近聞いた話では、その当時の担当であったYさんが当センターを見学に来られて、この事業は愛隣さんにやってもらおう思われたそうで、上司の意見にも耳を貸さず、独断で決めてしまったとか!?
その時点では、この事業の重要性や大変さについては全く頭になかったんです。いろいろ先輩事業所さんから事業の内容について勉強させてもらっていく中で、この事業が“障がいを持つ人たちが地域で豊かに生きていくためのあらゆる支援を行っていく大事な一翼を担っている”ことに気づかされていきました。行政から施設、ボランティアサークルなどあらゆる機関とネットワークを作りながら、一人の人間の生活を支えているプランを作り上げていく支援センターの働きは、これまでこの「愛隣」で行ってきたことの延長線上にあり、私たちの経験が存分に生かされる場でもありました。ありとあらゆる困難な相談にも、何とか、解決への道筋を探り出していくことが求められているプレッシャーを感じつつある今日この頃でございます。